ご家族様の声

末期がんと向き合いながらユリカで過ごされた方々について、その時間をそばで見守ってこられたご家族様の声をご紹介します。

事例1

「ここでよかった、と叔母が言ってくれたことが何よりでした」

入居からご最期までご家族様とユリカスタッフで伴走していただきました

S.T様(72歳)

病名:大腸がん末期・がん性腹膜炎・人工肛門造設後

ご入居期間:約9か月

自宅で過ごすことが難しくなり、最期をどこで迎えるのか。

その選択は、家族にとって、とても重く、迷いの多いものでした。

叔母(S.T)は、病気が進行する中でも、人と話すことが好きで、いつも笑顔を絶やさない人でした。

面会のたびに、母(S.Tの姉)が温かいタオルで顔を拭いてあげると、嬉しそうに目を細めていた姿が、今も心に残っています。

人工肛門は、叔母にとって最後まで慣れることのないものでした。

病状の進行とともに出血もあり、不安そうな表情を浮かべることもありました。

そんな時、看護師の皆さんが、本人が口にする前から状態に気づき、声をかけ、丁寧に対応してくださいました。

その存在は、叔母にとって、とても心強いものだったと思います。

次第に、吐き気や嘔吐が強くなり、食べることも難しくなっていきました。

それでも、その時々の状態に合わせて、必要最小限の点滴へと切り替えながら、静かに見守ってくださいました。

私たち家族だけでは、ここまで落ち着いて、細やかに看ることはできなかったと思います。

最後に一言

身体のつらさだけでなく、気持ちの揺れにも寄り添っていただいたことで、叔母も穏やかに過ごすことができたのだと感じています。

亡くなる前、叔母が「ここでよかった」と言ってくれたことが、今も私たち家族の支えになっています。

看護師さんや訪問診療の先生との丁寧なコミュニケーション、あの場所で過ごした時間は、叔母にとっても、私たち家族にとっても、かけがえのない時間でした。 心から、ありがとうございました。

ユリカより

ご退去後、お部屋を片づけている際、居室のホワイトボードに残されたメッセージに気づきました。

「皆様お世話になりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今日もステキな1日を…」

その言葉は、スタッフ一人ひとりの心に静かに届きました。

S.T様がこの場所で過ごされた時間、そしてご家族様が託してくださった想いを、私たちはこれからも大切に受け継いでまいります。

事例2

「病院ではなく、ユリカに帰りたいと、妹は何度も話していました」

治療か生活かではなく、両方を大切にしたいという妹の希望を支えていただきました

M.Y様(71歳)

病名:卵巣がん末期・がん性腹膜炎・脳性麻痺、胸部ポート造設後

ご入居期間:約9か月

妹(M.Y)は、小児麻痺がありながらも、「自分の人生は自分で選ぶ」という強い意志を持ち、お話好きで、少し寂しがり屋な人でした。

卵巣がんが末期だと知ってからもその思いは揺らぐことはなく、病院での抗がん剤治療を続けながら、自分のペースで暮らせる場所を探していました。

ユリカに入居してからも、抗がん剤治療のため病院へ短期入院することがありましたが、そのたびに妹は、「病院では絶対に死にたくない」、「早くユリカに帰りたい」と、何度も話していたと聞いています。

口からの食事が少しずつ難しくなり、IVポートからの点滴を受けながらの生活になりましたが、退院してユリカに戻るたび、「帰ってこれてよかった」と、ほっとした表情を見せていました。

スタッフの方が訪室すると「来てくれてありがとう」と笑顔で声をかけている様子を見て、妹の望んでいた暮らしが、この場所で叶っているのだと感じ、兄として安堵したことを覚えています。

痛みなどへの対応

妹は痛みに敏感なところがあり、状態に合わせて、早い段階から貼り薬の麻薬を使い、さらに調整が必要になった際には、点滴での対応へと切り替えていただきました。

そのおかげで、妹が強く痛みを訴えたり、我慢している様子はほとんど見られなかったように思います。

ただ、病状が進行するにつれ、嘔気や嘔吐によるつらさが前に出ることもあり、苦しそうな表情を浮かべる場面もありました。

それでも、その都度、丁寧に対応していただき、妹は安心感をもって過ごせていたのだと感じています。

最後に一言

妹は小児麻痺のため、幼い頃から家族と離れて暮らしており、兄として不憫に思うこともありました。 それでも、妹の望む治療と暮らしを最期まで応援することができ、ユリカで親密な時間を過ごせたことは、本当にありがたいことでした。

ユリカより

M.Y様のご入院先で関わってくださっていた看護師さんのお一人が、その後、ユリカに入職されました。

M.Y様が「ユリカに帰りたい」という思いを、病院スタッフの方々に何度も話されていたことが、きっかけだったと伺っています。

M.Y様がつないでくださったこのご縁を、私たちは大切に受け止め、これからの看護につなげてまいります。

事例3

「わずか一週間。母は笑顔を取り戻し、家族で見送ることができました」

コロナ禍で叶えた、最期の時間

W.M様(71歳)

病名:大腸がん末期・がん性腹膜炎・肝転移・肺転移

ご入居期間:約1週間

母(W.M)は、腹痛や腰痛がありながら、自宅で医療用麻薬を使い療養していました。

しかし病状は急速に悪化し、腹水が溜まり、食事もほとんど取れなくなっていきました。

病院の受診に同行した際、「余命は長くない」と告げられ、長女である私は激しく動揺しました。

当時はコロナ禍の最中で、入院できたとしても、面会できないまま別れを迎える可能性がありました。

家族として大切にしたこと

私たち家族の願いはただ一つ、母の苦痛をできる限り取り除き、一人で旅立たせないことでした。

ユリカを紹介していただき、受け入れてもらえたことで、母は「ここに来られて安心した」と、笑顔を見せてくれました。

その表情に、家族は救われました。

入居後も不安でいっぱいだった私に、看護師さんが話を聴いてくださり、「今、何を大切にするか」を一緒に整理してくださいました。

張りつめていた気持ちが、少しずつほどけていったのを覚えています。

ユリカに入居してからは、家族が交代で面会し、好物を差し入れたり、孫の顔を見せたりと、それぞれの形で母への思いを伝えることができました。

呼吸が苦しそうなときには、すぐに酸素吸入が開始され、痛みにもきめ細かく対応してくださいました。

母は日ごとに状態が悪化していきましたが、安心して過ごせていたのではないかと感じています。

コロナ禍という制約の中でも、家族全員で母を見送ることができたことは、今思っても奇跡のような出来事です。

感染対策について

ユリカでは、これまでに新型コロナウイルスの施設内クラスター(集団感染)を一度も発生させていません。感染対策の徹底と、スタッフの体調管理・健康管理を継続しています。

ユリカより

感染対策が厳しい状況の中でも、ご家族様の「一人で旅立たせたくない」という思いを受け止め、できる限りの形で寄り添わせていただきました。 短いご入居期間ではありましたが、ご家族様とともに過ごした時間は、私たちにとっても忘れがたいものです。

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